かがの学級 『八尾 かぜの盆』を訪ねて [加賀野公民館事業]
白山市 加賀野公民館 『かがの学級』 の事業として越中は八尾の 『越中おわら節』 で有名な 『かぜの盆』 を訪れた。
実施されたのは9月2日だったが、数日前からの台風12号の影響があるとの予報で実施が危ぶまれていた。
台風の予想進路もだんだん悪いほうに変わり、当日出発前の天候もまもなく雨が降りそうな状態。
公民館職員が参加者に聞いて回った結果、とりあえず現地まで行くことになりバスで出発。
美川インターから北陸道に乗り小杉インターに向かう。
小杉インターで北陸道を下り一般道でバスの降車場所に指定されている 『町民広場』 に向かう。
広大な広場だがここはあくまでも降車場所。
降車後のバスは金40,000円也を払って指定駐車場で待機するという。
その指定駐車場の場所はなんと路上駐車。
もっとも町民広場からはシャトルバスで指定駐車場である路駐場所まで送ってくれたり、交通誘導員、警備員の経費もかかることはよくわかるが4万円とは。
やらずぶったくりの典型とも言われる行為ではないだろうか。
今回の参加費は一人4000円。
25~6人参加で収入は約10万円強。
そこから駐車料金、弁当代を差し引くと残りは僅か5万円。
バスの純拘束時間は午後3時30分から午後10時30分。
バスは富山県砺波からやってきて砺波に帰る。
おそらく往復で2時間以上はかかると思うが。
その間のバスの経費、運転手経費、添乗員経費が僅か5万円。
これでバス会社の経営が成り立つのかと、人事ながら心配になってしまう。
町民広場でバス降車後集合場所を確認、全員で曳山展示場(八尾観光会館)に向かう。
八尾は坂の町とも石垣の町とも称されている通り、禅寺橋を渡ると西町の坂と石垣が見えてくる。
この石垣は八尾をもっとも代表する景観として知られている。
今回の参加者総勢26名+公民館員2名+添乗員1名
禅寺橋欄干には踊り子のレリーフが取り付けられている
八尾を象徴する景観 『西町石垣群』
玉石積で法面を形成し、その上にあるのが西町です。
現在では珍しい 『竹矢来』 を発見
八尾は川が多く鮎も大量に取れる。
方々で鮎の塩焼きを売っているところも発見。 うまそう。
天候が心配なため (すこしの降雨でも三味線、胡弓等の楽器保護のため輪踊り、町流しは行われない) 八尾に来て越中おわら踊りを見ないで帰ることにもなりかねないため、とりあえず曳山展示場で行われる踊りを見ることに。
曳山展示場に向かっている途中で西町の踊り手さんたちが
輪踊りに向かう途中と遭遇。
昔看板娘?発見
風の盆恋歌にも歌われている 『酔芙蓉』
花の朝咲始めは白色、徐々に淡いピンクから濃いピンクに
変わっていく様子が酔って顔が赤くなる酔人に似ているとこ
ろから付けられた名前です。
酔芙蓉を専門に売っている店もありました。
西町 輪踊り
八尾では2~3才の頃から踊りを覚えるそうです。
学校でも踊りを教えているとか。
とにかく踊れて一人前。
風の盆になると県外に出ている若者も大挙して故郷に戻る。
八尾観光会館には、普段は 『曳山』 が展示されていますが、かぜの
盆の時期には、各町が交代で踊りの指導と踊りを披露しています。
観光客もイスに座りながら踊りの指導を受けます。
おわら踊りは奥が深くなかなか難しい踊りです。
越中おわら節には男踊りと女踊りがある。
おわらの踊りは「豊年踊り(旧踊り)」と「新踊り」に大別される。
豊年踊りの所作は農作業をしている所を表した踊りで、老若男女を問わず、誰にとっても楽しむことのできる踊りである。市が観光客向けに行う「おわら講習会」や、富山県内の学校の運動会などで踊られているのも、この豊年踊りである。豊年踊りには唄と唄との間に踊る素踊りと、唄の上の句に入れる宙返り、下の句に入れる稲刈りの所作がある。ただし素踊りのみで踊ることもある。次に述べる新踊りが後に振付けられて「新踊り」と称されたことから、こちらの豊年踊りは「旧踊り」と呼ばれるようになっている。
新踊りはさらに「男踊り(かかし踊り)」と「女踊り(四季踊り)」に分かれる。男踊りの所作は農作業を表現しており、所作の振りを大きく、勇猛に躍り、女踊りの所作は蛍狩りを表現しており、艶っぽく、上品に踊るのが良いとされる。その両者とも、新踊りは昭和初期に日本舞踊家・若柳吉三郎によって振付けられた、主に舞台演技用の踊りである。もともと女踊り(四季踊り)にだけ唄に合わせた四季の所作が入っていたが、近年では男女混合で踊るときに、ペアを組んで妖艶な所作を入れたりもしている。なお、この所作は八尾の各町内ごとにいろいろと改良工夫がなされており、おわら踊りの特徴の一つとなっている。
男踊りはキリッとしたところが、女踊りはしなやかで艶やかで優雅な踊りが見所。
各町の踊りにも特長があり見ていても楽しいです。
観光会館(曳山展示館)
250年余の歴史を有し、越中美術工芸の粋を集めた絢爛豪華な曳山三台を展示してある。
曳山は『越中八尾曳山祭り』に使用されるものです。
入場料は通常500円が、なぜかかぜの盆の期間は1500円と3倍にも跳ね上がる。
観光会館前の 『蔵並通り』
石畳の風情のあるとおりです
雪洞の流れを見ると、八尾は坂の町ということがよくわかる。
この諏訪町本通りは日本の道百選 に選定されている。
石畳、無柱化、両側の流雪溝が特徴
流雪溝の溝蓋デザイン
上新町の町流し
いつもは町流しは人ごみが激しく 、 まともに写真など撮ることが
できませんが、今年の上新町は割合観光客も少なく 、最前列で
見ることが出来ました。
上新町は旧町の中でも道幅が広く 、商店も多く比較的容易に町
流しができる通りです。
民謡には珍しい 『胡弓』
胡弓の悲しげな咽ぶような響きが越中おわら節には
ぴったりです。
三味線 女性の弾き手もいる
おわらの唄い手、地方(じかた)としての胡弓、三味線、太鼓の
演奏者が各町にはいるようです。
女踊りは蛍狩りを表現しており、艶っぽく上品に踊られている。
男踊りは農作業を表現している。
近年では男女が対になって、妖艶な所作を表現する踊りも多く取
り入れられている。
各町で踊り方の違いもあり見ていて楽しいです。
とおりに面した二階から見ている人も。
キッと大宴会をしながらの観覧だと思うが。 うらやましい。
今町界隈に八尾フラット館がある。
ここの二階テラスで越中おわら踊りを見ることが出来る。
男女が絡む踊りは今町が先がけ。
先頭の子供は2~3才くらいか。
旧町の名古刹 『聞名寺』 の門前にある街で、創作当時の踊りのスタ
イルを大切に守っている。
八尾風の盆には何回も来ているが、時期的にいつも天候の心配をしなく
てはならない。
風の盆というだけあって台風とは縁が切れないのか。
毎年すごい数の観光客でまともには町流しを見ることが出来ない状態だ
ったが今年はいいところを見ることが出来てラッキー。
報道によれば1,2,3日の合計人出は19万人、最終日の3日は5万5
千人の人手とか。
例年よりは少ないようだった。
越中おわら節の踊りは年中どこかで踊られている。
いまや風の盆、越中おわら節も全国的になったようです。
狭い町に、多い時には三日間で30万人もの人が詰め掛けるという。
行政、主催者ともそのあたりの対策をもっと考えてほしいものである。
特に諸々の値段も含めて。
立山カルデラ体験学習会に参加して その2 立山カルデラ体験学習の部 [地元ねた]
昼食が終わり、カルデラ内を体験学習するバスの乗車場所までトンネル内を徒歩で移動。
延長約400mのトンネルだが、建設当時はトロッコ運搬が主力であり、自動車での運搬は考慮されていないため、トンネル内のトロッコ運行が休止になった現在 、トンネル幅がトロッコ幅に合わせて建設されており、普通車程度は通行できるがバスの通行は不可能。
そのためバスが入る場所まで徒歩移動となる。
トロッコ運行時の名残で一部トロッコ軌条が残っている。
重要文化財に指定された白岩砂防ダムの右岸岩盤の山体崩壊(深層崩壊)の恐れがあるということで 、トンネル脇にもう一本のトンネルを掘削し、トンネル内からの岩盤補強アンカーを打ち込む工事が行われた。
国立公園内でもあり、表面から見えない工法を採用したため、トンネル内からの補強工事となったものらしい。
信号に従い、車両通行を一時止めて人間が通行する
白岩隧道 白岩側出口
左側のトンネルは、白岩砂防ダムの補強のためのアンカーを
トンネル内から打ち込む目的で掘られたもので 、終了した現
在はその役目を終わり資材置き場と化している。
本トンネルより立派
正式には 『白岩砂防堰堤右岸部岩盤補強対策工事 1号トンネル』
と称し、役割を終えた現在は資材置き場となっている。
トンネルに取り付けた品質管理表示名盤
水谷平から白岩隧道を抜けると『天涯の湯』がある
カルデラ内部にあり、十数年前砂防工事に携わる作業員たちが
自力で作り上げた温泉であり、作業を終えた後の作業員の憩い
の場となっている。 勿論、湯は天然温泉です。
国有地内にあるが 、建設にかかる経費には国費は一切使用さ
れていない。
足湯も作られており、ここには我々体験学習会参加者も使用する
ことが出来る。
この場所から多くの崩壊地が見える。
崩壊地のすぐ近くに砂防ダムが建設されているが、現在は崩壊
が激しく工事などで接近することは不可能だそうです。
この場所で先行する第一班と合流、我々第二班は第一班の乗っ
て来たバスでカルデラ内に入る。
第一班は我々とは逆コースで、トロッコで砂防博物館に帰る。
バスに乗り湯川隧道を通って白岩堰堤に向かう。
立山カルデラ砂防工事とは立山カルデラ内に堆積した崩壊土の流出を止める工事であり、推定2億㎥もの崩壊土がカルデラ内に堆積しており、その全量が常願寺川を下って富山平野に流れ込むと現在より1~2mも埋没するといわれている。
明治39年から立山砂防に着手し、その工事は現在も継続し、近年では毎年50億円もの工事費がつぎ込まれており、永遠に継続するとも言われている。
しかし、砂防工事により海岸への土砂供給が減少し、海岸侵食の原因の一つになっているとも。
筆者が小学生の頃。立山カルデラ唯一の流出河川である常願寺川での河床掘削を見学に行ったことがある。
その当時は立山カルデラから流出した土砂を、常願寺川の大日橋あたりで、タワーエキスカベーターという掘削機械で河床掘削を行っていた。
その掘削土砂で造成されたのが現在の常願寺川公園である。

今は懐かしいタワーエキスカベーター

常願寺川河床掘削土で造成された28haもある広大な常願寺川
公園
白岩堰堤は立山カルデラの出口に当たり、ここで土砂の流出を食
い止めている。
1939年 (昭和12年) には日本一の貯砂量を持つ本宮砂防堰堤
(国の登録有形文化財に登録)が完成。
1939年(昭和14年)には10年の歳月を掛けた白岩堰堤(国の重
要文化財指定)が完成した。
白岩砂防堰堤のすぐ上流にあり白岩砂防堰堤と一体で働 く
松尾砂防堰堤
白岩砂防堰堤 管理橋 つり橋で幅が狭く少々ゆれる
この壊れかけたコンクリート壁も重要文化財の一部である。
施工当時現地調達の安山岩系統の骨材を使用しているため
アルカリ骨材反応によるコンクリートの老化が激しい。
白岩堰堤上から撮影
白岩堰堤は7基の副ダムの複合体であり、貯砂量100万㎥、
高さ63m、落差108mの規模はともに日本一の規模である。
2009年6月30日 国の重要文化財に指定された。
しかし建設後60数年経過しており、老朽化も激しいため毎
年補強工事を行っており、現在も施工中である。
白岩砂防堰堤上で説明を聞いた後、下流展望台に向かう
展望台から水谷平を望む
水谷平から下の斜面は、法面緑化工事以前は土砂がむき出しの
状態だったそうだが、工事終了後は法面も安定し、緑が相当増え
ている状態。
種々の法面緑化試験施工が実施された結果非常に安定した法面
になったそうです。
下流展望台から望む白岩砂防堰堤全景
いよいよ立山カルデラの中枢部とも言う『六九谷展望台』に向かう。
1969(昭和44)年8月の集中豪雨によって、多枝原(だしわら)谷
の沢の一つが大きく崩れてできた谷です。
1969年にできたことから「六九谷」と呼ばれています。 崩れた谷
の内側は山腹工事が施され、今では当時の荒々しさは見られなく
なりましたが、手前を大きくえぐられた地形は、円形劇場を想わせ
るすり鉢状となっています。
この眼前にはさえぎるものが無く、遥か浄土山まで立山カルデラ
の稜線を一望に見渡すことができる。
説明員持参のパネル
立山カルデラ 全体パノラマ
オリジナルサイズで表示すると、崩壊跡と、画面中央砂防ダム群
の間に天涯の橋(吊橋、後述)が確認できる。
六九谷展望台から立山カルデラの全体像を見た後は湯川砂防堰堤に向か
うが途中の車窓から泥谷の説明を受ける。
堤群で、現在は樹木で覆われされ自然の谷地形に復している。
なるほど、深い谷は堰堤群は殆ど見えず、樹木に覆われて いかにも自然の谷の
様相を呈している。
旧農林省が担当していた湯川12号砂防堰堤が災害によりその
継続が困難になったため、国土交通省が引き継ぎ、旧湯川12
号砂防堰堤の直下に建設中の新『湯川12号砂防堰堤』
砂防堰堤は原則、底部が強固な岩盤に接するまで掘削(岩着という)
して建設するが、堆積土が厚く岩盤までの掘削が不可能のため 、こ
の砂防堰堤も岩着になっていない。
そのため堰堤前面河床が洗屈されて被災する場合が多い。
旧農林省工事の湯川12号砂防堰堤
土砂に埋まってもう砂防の役には立たない状態。
湯川12号砂防堰堤のすぐ上流部から河川が分かれている。
左支流兎谷の砂防堰堤群
写真はないが、平成8年12月、松本砂防事務所管内で発生した蒲原沢土
石流で14人の尊い犠牲者が出たことをを教訓として 、センサー 、監視カ
メラ等による事前の以上を感知して赤色回転灯、サイレン等で異常を知ら
せ災害発生を事前に防止するよう配慮されている。
立山砂防は世界的にも有名で、砂防のメッカとも称されている。
砂防工事の最先端を行く新技術の開発、テスト、施工が行われているそう
だが 、 筆者の見たところいずれも経験したことのある技術のような気がす
るが。
湯川12号堰堤を見学した後は立山温泉跡へ向かう。
この温泉は1580年に発見されたと伝えられています。夏場には500人もの客
でにぎわったそうです。
安政5年(1858年)、この温泉地に大地震がありました。
その結果、鳶崩れ(とんびくずれ)という大規模土砂崩れが発生、立山温泉は数
10mの土砂に埋まり壊滅しました。
このとき入浴に来ていた30余人が犠牲になっています。
明治ごろになって再び立山温泉は復活し、たいへん繁盛していたようです。
残念なことに1969年、大雨によって登山道が流され、73年に閉鎖、79年には
残っている建物の中に人が入り込んだり 、動物が侵入するなどしたためは焼却
処分され、現在はタイル張りの湯船跡のみが残っている。
慰霊塔
説明員の説明を聞く参加者
最盛期には一日500人以上もの客が詰め掛け、大盛況だった
そうで、その時帳場にあった金庫で、中にはお金がぎっしり詰ま
いたそうである。
それくらい大繁盛していた温泉です。
タイル張りの湯船跡
こんな小さな風呂に500人も入っていたとは。
この地は立山砂防発祥の地とか。
ここに初代の立山砂防工事事務所が建設されていたそうです。
立山温泉跡地から湯川を挟んだ対岸に”泥鰌(どじょう)池”と呼ばれる美しい
池があり、天涯の橋(吊橋)をわたっていくことが出来る
立山温泉の経営者たちが、お客に供するためドジョウを放し、養殖したことか
ら泥鰌池と呼ばれるようになったそうだ。
この池は、安政5年(1858)の大地震によって崩れた鳶(とんび)山の土砂が
湯川をせき止め、その堰が決壊した後に残ってできた小池である。
その後、立山温泉の経営者たちは、食料としてこの池にどじょう、フナやニジ
マスを放流したり、池に小舟を浮かべて船遊びをして楽しんでいました。
今では、立山温泉はありませんが、放流したフナやニジマスは自然増殖して
いる。
以前は約4mの水深があったそうだが、現在は2m程度と浅くなっているが
山中で静かな佇まいをかもしだしている、なんとも神秘的な池である。
天涯の橋
湯川 川原から温泉が湧いている
近くの川原には噴泉塔もある。
熊のかじり跡の残る看板
温泉跡から泥鰌池に続く木道
滑り止めのある、苔むした、貫禄のある木道です。
雪で曲がった岳かんばの幹
静かな佇まいの泥鰌池
時折、魚が跳ねている。 虹鱒か?
どじょう池を最後に一路、有峰湖を経由して博物館へと戻る途中
立山カルデラ内唯一の飲料水のある『天涯の水』へ立ち寄る。
調査のためにボーリングしたパイプから、地下42mより毎分40ℓ
の水が湧出。
飲み水などとして、立山カルデラ内で働く人々の疲れを癒すオアシ
スとなっています。
現地で飲む人、ペットボトル、水筒に詰めてバスの中で飲む人、さ
まざまですが冷たくて美味しい水でした。
バスは有峰林道真川線を通り折立検問所に向かうが途中跡津川
断層真川大露頭で車中説明を受ける。
跡津川断層は大山町の「真川大露頭面」で幅約100メートル、高さ
70メートルにわたって地表に露出する。
露頭面の右側に茶色く見えるのは10万年前ごろのれき層、左側の
白っぽいのは1億8,000万年前の花こう岩。
断層表面は崩れてしまうことが多く、大規模に地表に露出するケー
スは世界的にも珍しいとされる。
真川検問所を過ぎるともう一般道。
トロッコに乗車直前から着用したヘルメットは、昼食時をのぞいてずっと
着用していたが、一般道に入りようやく開放された。

有峰林道真川線 真川検問所
ここから先、折立検問所間は工事専用道路。
一般車両は通行することが出来ない。
折立検問所を過ぎるとまもなく有峰ダムが見えてくる。
やがて博物館に到着。
丸一日間の体験学習会も終了。
通常は絶対に入ることの出来ない立山カルデラ、乗車することの
出来ない専用軌道線に乗ることが出来たのも体験学習会のおかげ。
大変有意義な一日を過ごすことが出来た。
関係者の皆様 ありがとうございました。
立山カルデラ体験学習会に参加して その1 立山砂防軌道(トロッコ)編 [地元ねた]
立山カルデラ砂防博物館が主催する 『立山カルデラ体験学習会』 がある。
倍率平均5倍程度、最高7~8倍にもなる高倍率の体験学習会である。
昨年は4回参加申し込みをしてすべてはずれ。
今年は2回申し込みをして最初の1回目で当選。
この学習会は当選しても心配が多い。
荒天時には中止となり、予備日の設定がない。
おまけに中止となっても以後の申し込み時に優遇されることがない。
実施日前日の午後1時30分から、テレホンサービスで翌日の実施可否がわかる。
予想通り私の参加予定の前日の学習会は荒天の予報で中止になってしまった。
昨年は16回の実施予定に対して実施されたのは10回。
実施率65%にしかならない。
2日前までの天気予報は雨天。
前日の予報で晴天に変った。
どきどきしながらテレホンサービスにかけると 『明日の体験学習会は予定通り実施します』 のアナウンスが流れた。
しかし当日の天候によっては中止する場合があります。 とのアナウンスもあった。
翌日白山市を出発時の天候は曇り。
富山市では雨も降ってくる始末。
しかし立山に近づくに従いだんだん回復してくる。
何となく実施されそうな予感が。
立山黒部アルペンルート(弥陀ヶ原台地)の南側に一般にはあまり知られていないもう一つの立山とも言うべき 『立山カルデラ』 がある。
周囲を切り立った崖で囲まれ、東西7km、南北5キロメートル、高低差500~1700mもある大きなくぼ地(カルデラ)である。
カルデラとはイタリア語で大きな深い鍋底のことである。
立山火山による陥没カルデラと考えられていたが実は立山火山に深く食い込んだ谷が激しい浸食作用によって形成された 『侵食カルデラ』 といわれている。
約20数年前立山の火山活動が始り、その後立山カルデラが生成され、侵食が続くにつれ弥陀ヶ原と五色ヶ原が分断された。
1858年4月9日に発生した飛越地震により、日本三大山岳崩壊とも言われている鳶山崩れが起き、かつての大鳶山、小鳶山が完全に崩壊し (鳶山大崩壊) 立山カルデラに推定4億トンもの土砂が流れ込んだ。
カルデラ内では立山温泉の多くの客、従業員が土石流に巻き込まれてなくなった。
せき止められた大量の水が二度にわたり決壊し、常願寺川を土石流となって流れ落ち、富山平野に甚大な被害をもたらした。
これを安政の大災害(大地震)と呼ばれている。
飛越地震の後、度重なる土砂流出災害が発生したため、富山県では明治39年から国庫補助を受けながら砂防工事に着手したが、県単独では事業継続が困難となり大正11年より国直轄事業となり現在に受け継がれている。
立山カルデラの砂防工事は世界的にも有名になっている。
その砂防工事を一般人が体験、見学する機会が 『立山カルデラ体験学習会』 である。
通常は、工事区域でもあり、危険が伴うため一般人の立ち入りは固く禁止されており、唯一入場できる機会が体験学習会であり、大変貴重な機会として参加希望者が殺到している。
事業主体が富山県である 『立山カルデラ博物館』
平成10年(1998年)6月30日に開館。
『知られざるもうひとつの立山』ともいうべき立 山カルデラの雄大な大自然
富山平野を土砂災害から守るために立山カルデラ地域で100 年近く前か
ら営々と行われてきた立山砂防事業の意義を県内外の人々に普及、紹介
していくことを目的として設立された。
石碑の設立年は大正初期と思われるが、設立者など詳しいことは
不明であるが当時の第14代県知事であった浜田恒乃助による揮
毫といわれている。
ここ常願寺川では、安政5年(1858年)に鳶山の崩壊により、下流
住民に壊滅的な被害を与えた。
古くから常願寺川との闘いは止むことなく続けられたが、明治末期
立山カルデラの中の湯川や泥谷に砂防ダムが建設されるに及んで
ようやく治水砂防の黎明を見ることになった。
まさにこのとき「天涯を護る」という文字が、人々の心に浮かび上が
ってきたのに違いない。
「護天涯」と彫られた石は、大正はじめに泥谷上流砂防ダム付近に
設置され、一度土石流により流失したが、昭和5年(1930年)に湯
川・泥谷合流点付近で発見され、現在ではその一部が切り取られ、
泥谷1号砂防ダムの袖部に埋め込まれている。
これはそのレプリカであり、紙の拓本は県知事室に掲げられている。
説明石版
天涯とは天のはて、極めて遠くの意味があり、富山平野の土砂
災害を未然に防ぐために 、天涯の地立山カルデルで守るの意
味が 『護天涯』 の三文字にこめられているそうです。
砂防博物館脇に設置された『レプリカ』

泥谷1号砂防ダム袖部に設置された 『本物』
別コースである 『健脚コース』 に参加すると見ることが出来る。
博物館裏のスイッチバックを登るトロッコが見えた。
早く乗りたい。
博物館前に集合
学芸員から説明を聞くが、集合が非常に悪い。
参加注意書には、長袖、長ズボン、歩きやすい靴、蜂刺され防止
のため黒っぽい 洋服の禁止などが書かれているにもかかわらず
半そで、素足にサンダル履き、黒い服装。
注意されて当たり前。
少なくとも山歩きをするという心構えがなければ参加してはいけな
いと思うのだが。
国土交通省(トロッコの運行責任者)から乗車拒否される可能性が
あるからと、サンダルを博物館の長靴に履き替えさせられていた。
国土交通省 立山砂防事務所看板
立山カルデラ体験学習会に参加するには博物館ホームページからメールで応募するか、葉書で申し込んだ後、希望者が多い場合には抽選となる。
いくつかコースが設定されていて、希望のコースに応募する。
立山カルデラ博物館に集合後、バスでカルデラ内に入り、見学後、トロッコで博物館に帰るコースと、反対にトロッコでカルデラ近くの水谷平まで行き、バスでカルデラ内を見学後、そのままバスで有峰湖を見ながら博物館に帰るコースなどがある。
私は第二班で、トロッコで水谷に行くコースに当選。
トロッコは正式には国土交通省立山砂防工事専用軌道といって、一般人は乗せることのない工事専用のトロッコです。
その歴史は古く、昭和初期から運行され現在に至っているが2006年に歴史的に重要であるとの評価を受け、文化財保護法による登録文化財に登録された。
鉄道事業法、軌道法の適用外であり、労働安全衛生法に基き運行されている。
レール幅610mm、博物館のある千寿ヶ原と水谷平間、路線延長約18km、高低差約640mを1時間45分で結んでいる。
砂防工事の始まった頃は人力による荷揚げ(ボッカ)、その後馬車に変わり、昭和49年に林道が開設されるまではトロッコが唯一の交通手段だった。
トロッコが急斜面を進むため、前進、後退を繰り返しながら進む『スイッチバック』が取り入れられており、その段数は当所42段もののぼったが、その後路線が改良されて38段となった。
特に樺平では高低差約200mを18段のスイッチバックで登るところは世界一といわれている。
朝9時10分から受付をし、参加費一人2000円を支払い博物館内に入る。
学芸員、立山砂防OB、いずれもボランティアの方から一通り注意事項の説明があり、ガイドブック等が配布される。
誓約書
当選通知
参加当日スケジュール表
ガイドブックに入っている地図
トロッコの詳細路線なども表示されている
学芸員の説明を聞きながら博物館の展示物などを見る。
学芸員の方は、普段は教師をされているそうだが、この博物館創立にかかわられた方であり、地質学会に所属されているベテランらしい。
カルデラの地形パネル
これで見るとカルデラがくぼ地であることがよくわかる。
安政の大地震の説明用シアター
立山カルデラには多くの有名人が訪れている。
パーシヴァル・ローエルウオルター・ウエストン、槙有恒、冠松次郎
他有名登山家等。
その他多くの展示物があり、立山カルデラについて学習できる
様になっている。
その後博物館前に集合、いよいよトロッコに乗ることが出来る。
立山カルデラは国立公園にあり 、 平地の植物などを持ち込ま
ないよう乗車前に履物の底を洗い、植物の種などを落としてか
らの乗車になる。
トロッコ路線図
トロッコは資材運搬、作業員運搬が主目的。
早朝から資材運搬、人員輸送の準備がなされていた。
我々体験学習参加者の乗るトロッコを牽引するディゼル機関車
『剣岳』号。
トロッコ基点は『千寿ヶ原駅』
停車場?には既に我々の乗るトロッコが停車していた。
まるでおもちゃのような小さな客車。
一両に最大9人乗車可能。
本日の第2班は20名当選のところ参加者は15名。
他に案内をしていただける人が2名、国交省の職員が1名。
合計18名で出発。
千寿ヶ原駅?構内 トロッコより撮影
防災のため事務所屋上には、ヘリポートが設置されている。
千寿ヶ原を出発後、すぐに博物館裏手に回りこみ、最初のスイッチ
バックにさしかかる。
千寿ヶ原~中小屋連絡所間
最初の連絡所 『中小屋連絡所』
桑谷連絡所
全線が単線のため車両交換は連絡所構内、スイッチバック
箇所などで行われる
鬼ヶ城連絡所
鬼ヶ城連絡所構内
本線上で一番の急カーブ R7mの箇所でありすぐに橋梁にかかる。
R7m通過時にはレールと車輪の摩擦音が激しい。
樺平連絡所
スイッチバックでは登り時にはバックで運転
水谷平手前の18段スイッチバック箇所
画面上で3段のスイッチバックが確認できる
手動ポイント
自動ポイントだが落雷による停電のため手動での切り替え
ポイントの開いている方向(進行方向)が矢印で表示される
水谷手前の臨時停車場で一時降車をして、展望台から白岩砂防
堰堤の説明を聞く
詳細は後ほど白岩堰堤上にて。
画面中央の斜路は 『インクライン』
臨時停車場を過ぎるとまもなく終点水谷に到着
水谷平には多くの工事事務所、宿舎等が建築されているが、工事
可能期間が 4~10月であり、冬季間は20mもの積雪があるため
殆どの建物(プレハブ造)は解体され 、翌春に又建築されるという
繰り返し。
午後のカルデラ内見学に備えてここで昼食
我々体験学習会参加者が乗ってきたトロッコ
機関車の 『向き』 に注意。
転車台がないため、機関車は客車の前に回りこみ、後ろ向きに
連結され、帰りはバックで運転される。
千寿ヶ原~水谷平間 トロッコ移動が終わり、午後のカルデラ内
見学に続く
カルデラ内は書きかけ
加賀野ダンディーズ 男のぶらり旅in上高地散策 2011 [加賀野公民館事業]
石川県白山市加賀野地区 加賀野公民館 団塊の世代事業の一環としてダンディーズと称する学習講座が開設された。
昨年は男のぶらり旅として 『旧軽井沢散策』 が行われ、今年度は 『男のぶらり旅 上高地へ』 が7月27日に行われた。
当所7月20日の予定だったが、直前の上高地ゲリラ豪雨?の影響で鉄砲水が発生し上高地への唯一の動脈路 『釜トンネル』 が通行止めになったため、一週間延びて7月27日の開催となった。
妻の実家が信州安曇野の関係上、上高地には何度も行っているが、河童橋からの穂高連峰の眺め、明神橋からの明神岳、明神池などの景色が見たくて妻とともに参加した。
当日は午前7時すこし前に地元Aコープの駐車場に集合、一路上高地に向けて出発。
天候は何となく持ちそうな気もするが、山の天候はわからない。
一応雨具は持参したが、雨が降ると山岳の眺望は望めない。
美川インターから北陸道に乗り、富山で下りR41経由で上高地に向かう。
釜トンネル付近は先日の災害復旧が盛んに行われていて、災害の深刻さが窺える。
平湯バスターミナルに到着
帰りにはここの温泉で一休みすることになっている。
平湯バスターミナルでのチョイ悪親父?連中
大正池バス停で二手に別れ、大正池~河童橋コースの参加者はここで下車。
河童橋~明神池コースは上高地バスターミナルまでバスに乗車。
上高地バスターミナルは相変わらずの混雑振り。
河童橋も相変わらずの混雑振り
やはり穂高連邦の眺望は無理そう
河童橋から明神池まではゆっくり歩いて小一時間あまり。
今日は梓川左岸を明神池までさかのぼる。
途中小梨平キャンプ場には色とりどりのテントが設営されている。
道中には、穂高登山者、徳沢、涸沢あたりでキャンプをしていた
であろう学生の集団と幾つもの団体とすれ違った。
川の水は澄み、岩魚が泳ぎ、梅花藻が揺れている
梅花藻は7~8月に小さな梅花に似た白い花が水中
で咲き藻自体は食用になる。
梅花藻が生えている川は清流の証しとされている。
梓川支流に架かる橋上で記念に一枚 パチリ
小梨平 キャンプサイト
樹木の背が伸びず枝が横に伸びている変な木
こんなところでのエチケットというか、常というか、すれ違う人達がみな
『こんにちわ』 と声を掛けていく。
やがて 『上高地明神館』 が見えてくる。
明神館前で記念撮影
後は明神岳だが上部に雲がかかっている。残念
明神館前での昼食
上高地まで来て昼食に 『芝すしの弁当』 を食べるとは
思わなかった。
重いのにビール、焼酎まで持参した『ツワモノも』
食べ終わり、明神池に出発する頃、俄かに雨が。
明神橋
明神橋から明神池までは5分ほど。
明神池は穂高神社の『神池』
畔には穂高神社の奥宮がある。
明神池を見るには金300円也の拝観料がいる
池を見るために拝観料を払った記憶はない
たぶんここだけだろう
池の奥のエメラルドグリーンの水の色がきれい
雨上がりの水面に靄がかかり始めなんともいえない風情がいい
池には大きな虹鱒が。
穂高神社奥宮
穂高見命を御祭神に仰ぐ穂高神社は、信州の中心ともいうべき
安曇野市穂高にあります。
そしてその奥宮は 、北アルプス穂高岳のふもとの上高地に祀ら
れており、嶺宮は、北アルプスの主峰奥穂高岳の頂上に祀られ
ている。
安曇野市穂高町にある穂高神社本宮(里宮)
明神池から流出する河川には岩魚が悠然と泳いでいる
明神池のほとりには嘉門次小屋がある
嘉門次小屋では塩焼きの岩魚を食すことができる。
炭火の遠火でゆっくりと焼き枯らした岩魚は頭から骨まです
べて食べることができるが今回は時間がなくて断念。
値段が上がっていなければたぶん一匹800円だと思う。
上條嘉門次(1847~1917)は、日本近代登山の父、W・ウエストン
夫妻の山案内人として知られています。
上高地で猟師をしていた嘉門次は 、14歳にしてはじめてカモシカを
撃ちとり、生涯でクマ80頭、カモシカ500頭は仕止めたと伝えられる
ほど、抜きん出た腕の持ち主でした。
32歳の時には明神池のそばに自分の小屋を持ち、遠くは黒部まで
足をのばすほど上高地一帯の地形を熟知していました。
明治に入り、外国人技師や教師らが日本の山に入りはじめると、嘉
門次の知識、登山技術は高く評価され、山案内人として活躍。
嘉門次の案内で槍ヶ岳に登頂したW・ウエストンは、とりわけ嘉門次
の人柄と技術に敬服し、著書「日本アルプスの登山と探検」でも嘉門
次をたたえています。
すっかり評判になった嘉門次は、以降多くの有名人を山に案内し、
また夫人をともなって再来日したW・ウエストン夫妻を、槍ヶ岳、穂高
岳、焼岳、霞沢岳に案内しています。
上高地を愛した嘉門次とW・ウエストンの2人の親交は20余年にお
よび、友情の記念として贈られたピッケルが現在も残っています。
近代登山を日本に広めたW・ウエストンをしのんで上高地 、梓川右
岸には W・ウエストン のレリーフが飾られ 、6月には彼をしのんで
毎年ウェストン祭が開かれている。
W・ウエストン碑
このあたりには猿がたくさん生息している。
本来ならこのあたりは猿の生息域であり、そこに人間
が入り込んだというのが実情だと思うが。
小猿を連れた親もたくさんいました。
森林帯の中に木道が整備されている。
植生保護のためにも木道からはみ出すことは厳に慎
みたいと思う。
雨もほぼ上がり森林浴を楽しむ。
木道を歩く参加者
上高地らしい風景が続く
晴れていれば山岳眺望も大変素晴らしいところですが。
上高地紹の介レリーフ
上高地をあとに平湯バスターミナル近くの温泉施設『ひらゆの森』
に向かう。
女性軍はなぜか足湯だけにするそうだが。
平湯の森駐車場にあるシンボルタワーである『森の灯台』
麓が足湯になっている。
足湯を楽しむ女性の参加者たち
今年の男のぶらり旅in上高地も終了。
来年は天橋立に決定とか。
楽しみです。
長岡祭り 『長岡花火』 [小旅行]
日本三大花火とも称される 『長岡大花火』 大会を鑑賞してきた。
日本三大花火とは秋田県で開催される 『大曲全国競技花火大会』 茨城県で開催される『土浦全国競技花火』 新潟県長岡市で開催される 『長岡大花火大会』 のことだそうです。
前者は花火師さんの新作花火の競演であり、長岡花火はその華やかさで有名な花火であり、前者とは少々趣が違うようです。
二日間で合計二万発の花火が打ち上げられ、中には一日二発の正三尺玉も打ち上げられることで有名ですが打ち上げられる花火の数はもっと多いところがたくさんあるようですが何故だか日本三大花火の一角を占めている。
ちなみに我が地元の『川北火祭り』の花火大会では一日2万発の打ち上げで、8月6日の夜に行われます。
長岡花火の歴史は古く明治12年にその始まりがあるが、長岡祭り自体は昭和20年8月の第二次大戦時の長岡空襲からの復興を願って昭和21年8月に 『長岡復興祭』 を開催し、この祭りによって長岡市民は心を慰められ、手を取り合って力強くまちの復興に望んだ。
これが後に 『長岡まつり』 と名を変えて現在に至りその一環として 『長岡大花火大会』 が実施されている。
長岡花火は一日約40万人、二日間の合計で80万人以上の見物客が集まり、帰りの交通渋滞が激しいとの情報が毎年報じられているため、今回は地元のバス会社主催のツアーに参加することにした。
バスは地元白山市に本社のある『石川中央交通』
添乗員は我が地元加賀野地区の住民
おまけにバス会社事務員は同じ町内の住民。
何かと便宜を図っていただけて ラッキー。
白山市を午前11時半に出発、途中金沢駅、富山県呉西地区で観客を乗せ、合計40名で目的地の新潟県長岡市に向かう。
北陸道、途中のサービスエリアには新潟県長岡市に向かう、全国各地のナンバープレートをつけた多くのバスが止まっていた。
全国からは数千台もの乗用車、バスが集まるという。
臨時駐車場も5000台以上準備されているそうだが確保するのは大変らしい。
花火会場近くの『長岡健康センター』の駐車場には午後4時過ぎに到着。
ここの駐車場は大型バスが約20台駐車できる割と小じんまりとした駐車場で、我々が鑑賞するイス席までは徒歩10分くらいと近い。
場内には弁当、飲み物なども販売しているそうだが何しろ値段が高いらしい。
スーパーで買う2倍程度の値段とか。
幸い会場までの途中に『イオン』がある。
花火開始の午後7時半までにはまだまだ時間もあることだしここで弁当、飲み物を調達することにして出かけたがものすごい人の波。
考えることは皆同じらしい。
花火観光客向けの食料、飲み物もたくさん並べられている。
おまけに通り雨?にも降られたためか携帯用の雨具も急遽販売されていた。
午後3時過ぎからしばらく降雨があり後に晴れてくるという予報だったがどうも予報どおりらしい。
花火大会の条件としては、直前に降雨があると空気が澄んで花火がきれいに見えるらしい、その上少々の風があれば花火で発生した煙が飛ばされてなお条件がよくなるそうだがそんな条件通りの天候になりそう。
私たちツアー客が観覧したのはイス指定席
40万人もいると見渡す限り人、人、人の波
ちなみにイス席3000円とか
花火大会本番は午後7時30分に始まるが、その前に
7時過ぎから 『メッセージ花火』 が打ち上がる。
『メッセージ花火』は、長岡花火の開始前に打ち上げ
られる花火です。
米寿のお祝いなどのメッセージが読まれた後に花火が
打ち上げられます。
ちなみに一発(複数打ち上がる)の値段は大きさにもよ
りますが15~20万程度らしいです。
花火の撮影は、普通にシャッターを切ると花火が点で
しか写らない。
ISO100、f11~16 5秒~15秒くらいがいいようです。
ワイドスターマイン
平成8年市制施工90周年を記念してスターマインを
5台同時に打ち上げる色彩鮮やかなワイドスターマ
インが登場した。
金燦 銀燦
平成7年に“きんさんぎんさん”が大会を訪れたことを記
念して打ち上げられ、以降毎年打ち上げられている。
金色のスターマインから銀色のスターマインへの変化が
特徴的。
3枚比較明合成画像
合成ソフトで3枚を合成した写真
カメラによっては多重露光の出来る機種もあるが
そんな機能がないのでまずは合成。
シヤッタースピードをバルブに設定して、レンズの前を黒
布で覆って多重露光をする方法もあります。

長岡花火が誇る『正三尺玉(30号)』
直径90cm、重さ300kg
この巨玉が上空600mまで打ち上げ
られ直径650mもの大輪に広がる。
一日二発打ち上げられる。
いよいよクライマックス。
『復興祈願花火』 『フエニックス』 が打ちあげられる。
平成16年10月23日に発生した中越大地震からの復興祈願花火。
開花幅2.8kmにも及ぶ超ワイドスターマインで、黄金の不死鳥が
連なって、空高く舞い上がる様子を表現している。

花火大会終了後の渋滞が半端ではない。
9時20分頃に終了し、10時すこし前に駐車場を出発したが全く動かない。
何でも10時まではR8方向は通行止めとか。
しかし10時を過ぎても殆ど動かずR8を離れるまで僅か5㎞を走るのに1
時間もかかる始末。
通常は長岡インターに向かうが渋滞が激しいため、R8を離れた後に、長
岡インターから一区間新潟よりの西山インターに向かう。
さすが本職のドライバーさん。
全く渋滞することなく西山インターから高速に乗ることが出来、予定通り翌
4日午前4時に徳光サービスに到着。
素晴らしい花火でしたが少々お疲れモードでした。
加賀野グラウンドゴルフクラブ 第2回加賀野大会開催 [加賀野グラウンドゴルフ]
5月に予定していた第2回加賀野グラウンドゴルフ大会は一度は雨で流れ、地区のアメシロ防除で順延し、市協会主催大会で流れ結局7月末の第3回大会が第2回大会となってしまった。
第3回大会は猛暑の時期の開催のため、松林の中のコースである 『県営美川GG場』 使用したが、当日は少々蒸し暑い日だったがまずまずの天候。
美川のコースは芝ではなく、土のグラウンドのためいつものコースとはすこし勝手が違う。
但し大会は終わったあとの表彰式は地元の公民館で、冷房の効いた和室で懇親会をかねて行うという楽しみがまっている。
暑い盛りには冷房の効いた部屋で飲むビールがうまい
今回の表彰式は懇親会をかねて公民館和室で。
第二回加賀野クラブ グラウンドゴルフ大会
期 日 平成23年7月31日(日曜日)
場 所 県営美川グラウンドゴルフ場(32ホール常設コース)
参加人員 33名
優 勝 田畑清美 67打
準優勝 高木春美 75打(ダイヤモンド賞達成)
三 位 古城光明 75打
四 位 中田 旭 76打
五 位 加藤 猛 78打
奇しくも今回五位までに入賞されたかたは全員70才以上の
グランドシニアの皆さんばかり。
若い世代の会員もがんばらなくては。
今大会五位までに入賞された皆さん達
まだまだ楽しい懇親会が続きます。
途中にはお楽しみ抽選会が。
五位までの入賞者を除いて、抽選で品物がもらえます。
もらえる品物は高価なものではありませんが楽しみです。
終わりに皆さんで記念写真を撮影してお開き。
楽しい大会&懇親会でした。
世界遺産 五箇山相倉集落世界遺産 水田逆さ合掌集落 [カメラ]
日本には現在14の世界遺産(文化遺産11箇所、自然遺産3箇所)がある。
ほかに現在10数箇所の国内暫定リストに登録され、世界遺産としての推薦待ちの遺産がある。
世界遺産に登録されている白川郷・五箇山の合掌造り集落のうち『相倉合掌集落』で 『水田逆さ合掌集落』 のライトアップが始まった。
相倉集落で年間5回実施されるライトアップのうちの一つで、田植え前の水を張った水田にライトアップされた逆さに写る合掌集落である。
風のない日には逆さに写る茅葺き合掌家屋が見事です。
田植え前にしか撮ることのできない写真を求めて多くの写真愛好家が集まるという。
ライトアップされる前 撮影 18:53′50″
ライトアップされた瞬間 撮影18:56′03″
撮影 19:04′09″
ずいぶん暗くなり映り込みがはっきりしてきた
撮影時間 19:11′46″
撮影 19:14′20″
ライトアップされているとはいうものの、写真撮影可能
箇所は限られている。
数少ない撮影ポイントには多くの撮影者がひしめいて
いる。
中には光が届かないにもかかわれずフラッシュを焚く
人、携帯で撮影して、写らないと嘆く人などさまざま。
撮影19:16′26″
あたり一面真っ暗。
この時間帯になると水田への逆さ合掌造りも映える。
撮影時間 19:19′16″
撮影時間 19:20′11″
刻刻とその表情が変っていく。
撮影時間 19:28′48″
写真を逆さにしてもどちらが水田に写りこんでいる像
だか区別がつかない位にきれい。
無風で水田に波風が立っていないので非常にきれい。
撮影時間 19:49′12″
使用機材 カメラ CANON 40D
レンズ CANON EF-S 17-85
三脚及びリモートスイッチ使用
先日、カメラ使用中に突然エラー99が出て撮影不能に。
長期保障(5年間)保険に加入していたため、保障修理。
シャッターユニットを交換。
今回、撮影中に又もエラー表示。
レンズの通信エラー。
17㎜から25mmあたりの広角域でのみエラーが出る。
早速修理に持ち込んだがやはりレンズの通信エラーと
のこと。
最近同じレンズの修理持込が多いとか。
今回も長期保障で事なきを得た。
約一週間たつがまだ修理完了の連絡はない。
春爛漫の信州 妻の実家の法要にお出かけ その2 法要後の食事と北アルプスパノラマ [小旅行]
法要、墓参終了後みなで大町温泉郷 『黒部観光ホテル』 に向かう。
本日はここで食事をして宿泊する。
大町温泉郷は、黒四観光の一大拠点として大いに栄えた温泉地。
黒四観光客はそんなに減少していないのに大町温泉は廃れ気味。
そんな中でアジアからの外人さんの姿が目立つ。
最近はNHKの朝の連続ドラマ 『おひさま』 の舞台が安曇野であり、その関係でも
観光客が増えているそうだ。
黒部観光ホテル外観
ホテル横を流れる鹿島川にかかる鹿島大橋からの眺望
鹿島川は鹿島槍を源流とする渓流河川
皆さんでの会食
妻の実家の弟夫婦とその家族
いとこ同士
年齢順に並んでいます
お寺でさんざん走り回り、実家、ホテルでもみんなで大騒ぎ、相当
疲れたのではないだろうか。
左の赤い屋根の建物は夕べ泊まった黒部観光ホテル
昨日はかすんでいた山並みも今日はくっきりと見える
大町市 鷹狩山展望台からの北アルプス展望
正面山裾の白い構造物は大町ダム
鷹狩山からの北アルプス大パノラマ
燕岳~唐沢岳~不動岳~鳴沢岳~爺ヶ岳~鹿島槍~白馬岳
白馬三山と称される白馬岳、杓子岳、鑓ヶ岳が見える
鷹狩山からの北アルプス大パノラマ
午前中は順光で撮影できるのできれいに写る
鹿島大橋からのパノラマ写真
北安曇郡白馬村付近からの眺望
長野冬季五輪時のジャンプ台が見える
春爛漫の信州 妻の実家の法要にお出かけ その1 蕎麦と法要、墓参 [小旅行]
信州の妻の実家で義父の十三回忌、義母の七回忌の法要があり家族で信州にお出かけ。
道中仁科三湖あたりでは山桜が終わり、菜の花が満開を迎えていた。
石川県ではほぼ終わった田植えがこのあたりでは終盤の様相。
我が家の長男は宇都宮から直行、私たち家族と次男一家は石川県から。
東京在住の姪たち、福岡在住の甥夫婦に会うのも久しぶり。
法事は午後2時に始まる。
まだだいぶ時間があるのでまずは信州蕎麦で腹ごしらえ。
道中には多くの蕎麦屋さんがあるが 『くるまや』さんへ。
この蕎麦屋さんは 『有明山神社』 の境内?にある。
『有明山神社』関連ブログ等 1 2 3
信州有明には何十回となく訪れ、有明山神社にも何回も来ているがゆっく
りと参拝したことがない。
由緒書などによれば結構有名な神社らしい。
裕明門は、鳥居をくぐり、両側に並木が続く真っすぐな参道を行くと現れる。
明治35年日光陽明門を模した山門、しかしこちらは素木の彫物だ。
立川流の清水虎吉による様々な彫物が見事だが、格天井には、明治の日
本画家村田香谷の35枚の彩色動物が描かれ、両側の隋神像、背面両側
の黒白の神馬も素晴らしい。
彫物は、十二支、二十四孝(唐夫人、郭巨、老萊子、楊香)、蝦蟇仙人、鉄
拐仙人、竜、唐獅子など。立川流らしく粟穂に鶉もある。
日暮しの門とまではいかないが、1つ1つの彫物が見応えがある。
昼時には行列になる 『くるまや』さん
くるまやさんのシンボルともいうべき水車
地粉を厳選された4種類の蕎麦粉とブレンドし、アルプスの伏流水であ
る湧水で打ち、晒した蕎麦は逸品。
私が注文したのは 『ザル大盛り』 651円也。
量はこのあたりの蕎麦屋の二人前以上。
値段は他店の半額程度か。
ザル一人前が、ちよこっと蕎麦がのっていて千円以上の蕎麦店が多い
中でびっくりするくらい安い。
細うちの蕎麦の味は抜群。
香りの立つ、のど越しのいいお蕎麦です。
おまけに山葵は地物の生山葵をおろして使っている。
裏山で取れたような雑きのこがまた旨い。
お酒のあてに最適だがまさか飲むわけには行かないし。
妻は暖かい 『月見そば』 を注文していた。
蕎麦を食ったあとは、いつもいく 『井比山葵店』 で山葵漬けを購入。
今回は大王山葵農場は行く時間がなくパス。
このあたりには小川?のわきなどにも山葵田がある。
丁度山葵に寒冷紗の覆いを掛けて直射日光をさえぎる作業をしている所も。
わさびの花も終わったばかりか。
実家に寄り、息子らと合流し、お寺に急ぐ
法要に集まる子供たちは小学3年生の孫を先頭に下は3才まで、5人の従姉弟同士のご対面も久しぶりで、中には初対面の従姉弟も。
法要の行われる信州安曇野市豊科 一乗寺に集合した従姉弟たちは会った途端に打ち解けあい、本堂内をところ狭しと走り回る始末。
しまいには、そんなに暑くもないのに汗までかいていた。

豊科 一乗寺本堂
本堂内部
一乗寺 本堂内を走り回る従姉弟たち
法事参加者一同
法事終了後、実家のすぐ近くにある墓地でお墓に参拝
この御参加者全員で大町温泉 『黒部観光ホテル』へ。
金沢平栗で 『カタクリ』 が満開に [花]
金沢の里山地区 『平栗いこいの森』 でカタクリが満開になった。
先週訪れた時にはちらほら咲きだったものが、ここ数日の暖かさで咲いたものらしい。
今年の冬の大雪のため4月6日時点のいこいの森HPには雪が20㎝も残っている写真がアップされ
ていたが、融け始めると早いものだ。
昨年は最後に訪れたのは4月19日。
カタクリの花は殆ど終わっていたが今年の4月18日の状態は満開。
昨年と比べると10日から2週間ほど遅れているようだ。
平栗いこいの森にはカタクリ鑑賞やら写真撮影目的の人が20数人ほど訪れていた。
静かにカタクリの花、ギフチョウを観賞すればいいものを、あるギフチョウ撮影者が、蝶を追っかけ
て園路の中を走り回っていた。
一言 『静かにしたらどうですか』 と注意したら、なにやらぼそぼそと文句を言っていたようだった。
静かに待っていれば必ず自分の前に来るのに、追っかけまわすから逃げてしまうことに気が付かな
いようだ。
カタクリはユリ科カタクリ属の多年草であり、 種子で増殖する。
鱗茎は分球せず毎年更新し、旧鱗茎の下部に出来るため鱗茎の位置がだんだん深くなる。
そのため比較的盗掘の被害は少ないとも言われている。
日光のさす落葉広葉樹林の林床に群生し、早春にそっくり返るように、薄紫~桃色の花が咲く。
カタクリが下向きにそっくり返るように咲くのは、蝶が吸蜜しやすいようにとの説がある。
種子がこぼれて、開花するまで6~7年もかかるカタクリ
開花後、5月には葉が枯れて翌春まで休眠に入る
カタクリは春の妖精とも呼ばれている
まれに白花のカタクリがあるが、この平栗にもあるそうだがお目にか
かったことはない。
園芸種では黄花もあるという。
そのカタクリに群がるのはギフチョウ。
この蝶は日本固有の種割合小型で、絶滅危惧種に指定されている。
成虫は午前中は日光浴や交尾をし、オス、メスともにカタクリなどに
集まって蜜を吸っている。
午後はわりと高い場所を活発に飛び回っていることが多い。
昔は鱗茎から 『カタクリ粉』 を作っていたが現在では大部分を
じゃがいも澱粉から作られている。
まれには栽培物で早春に山菜として販売されるものもある。
早春に里山での鑑賞をするのがいいのでは。
ギフチョウの飛翔する瞬間






